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◆呉史論衡 『孫奮即位の妖言』

「孫奮伝より」
建衡二年(270)孫晧の左夫人の王氏が死去した。孫晧は悲しみにくれて数ヶ月の間、人々の前に姿を現さなかった。民衆の間に孫晧は死んでしまっているという噂が流れ、孫奮か孫奉が即位するという風聞が立った。そのために孫奮は親子ともども誅殺された。

「孫晧伝より」
鳳皇三年(274)会稽郡で孫奮が即位するという妖言が流れた。



孫奮伝によれば、孫奮は建衡二年か三年には死んでいる。なのに孫晧伝では、鳳皇三年に孫奮が即位するという妖言が流れたとなっている。

おそらくは孫奮が誅殺されたのは建衡三年のことで、それを陳寿が編纂の折に勘違いして同じ三年の鳳皇三年の出来事としてしまったのだと思う。
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