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『甘寧伝にある当口について』 |
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『三国志』甘寧伝には建安13年(208)に黄祖を討ち取った後の記述にこうある。
「遂授寧兵,屯當口」
ちくま訳では、『兵士を授かり当口に駐屯した』となっている。これは三国志集解などに幾つか載る考察でもそうなのだが、いずれの解説訳でも当口を地名と解釈している。夏口であるとか、夏口近くのことであろうや、当利口かもしれないといった具合の考察である。
ここで自分が思うのは、当口は地名ではなく「屯當口」という記は「兵を授かり駐屯して口に当たる」という事になるのではないかという事。
私としては夏口の事を指しているのだろうと思うのだが、この考えだと口とは夏口なのか当口なのかはたまた別の場所を指しているのか具体的な結論としては分からない。
最終的に場所は何処の事を言っているのかという考察の結論から一番遠のいてしまう考えなのだが、実際に三国志や呉書を書いている本人(陳寿や韋昭)には分かっているから端折ってしまった記述なのではないかと思った。
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2020/10/23 |
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