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『甘寧の西陵太守について』

『三国志 甘寧伝』では、益陽にて関羽の進行を防いだ功績により甘寧は西陵太守を拝命し、陽新県と下雉県を領したとある。後漢書の志によれば江夏郡には西陵県が存在していて、おおよそ黄武2年に西陵と改名された夷陵の事でないことが分かる。

地図作成参考
ちくま学芸文庫 正史三国志 7巻

 P049 呉書第九地図

 P114 呉書第十 ・第十一 地図

ただ陽新県と下雉県を領したという所で問題が出てくる。呂蒙が同時期の長沙・零陵・桂陽を攻略した功績で尋陽県と陽新県を奉邑として与えられている。甘寧の陽新県と下雉県を領したというのが、奉邑として与えられた事と同義であるなら矛盾が生じることになる。

この矛盾を解消するために領したという記述を奉邑として与えられた事とは別の意味として考える。
おそらく甘寧の西陵太守というのは上記地図上に記された西陵県の事ではなく、陽新県と下雉県を郡の領域として新しく設置された西陵郡なのではないかと思われる。

晋代には西陵県という地名は無いようなので、この頃に春秋戦国時代から続く西陵は廃されたのではないかと推測する。

【参考記述】 漢籍電子文献より
史記卷六十九  蘇秦列傳第九
【集解】徐廣曰:「燕昭王三十三年,秦拔楚鄢、西陵 。」 【正義】按: 西陵在黃州。


2020/11/14
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