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◆呉史論衡 『黄蓋伝の思い込み意訳』

ちくま訳・三国志の黄蓋伝には、
翻訳者の思い込みによる間違った意訳があるのです。

「三国志 黄蓋伝」
自春訖夏,寇亂盡平,諸幽邃巴、醴、由、誕邑侯君長,皆改操易節,奉禮請見,郡境遂清。

「ちくま学芸文庫」
春から夏までの間に、反乱はすべて平定され、僻遠の地の巴・醴・由・誕などの部落長や酋長たちも、みなこれまでの蜀に対する忠誠を改めて、鄭重な礼を執って目通りを求めてくるようになり、武陵郡領内は、このように平穏になった。

Wiki 黄蓋
反乱を鎮めると、これまで益州に服していた巴・醴・由・誕の部族も誼を通じてくるようになった。


上記の文字が赤くなっているところを見て分かるように、
皆改操易節』は『皆、節操を改めた』となります。
蜀に対する忠誠を改めて』や『益州に服していた』とはなりません。
『蜀』や『益州』は出てこないのです。

三国志演義において武陵は完全に劉備の勢力下に入っていましたから、翻訳者が関羽死後の出来事だと思い込んでしまったのだと思います。
おそらく翻訳者は黄蓋が武陵太守になったのは関羽死亡後の事だと思い込み、それまで武陵を治めていたであろう劉備勢力(蜀・益州)に周辺部族は忠誠を誓っていたんだろうと考えて、このような間違った意訳をしてしまったのでしょう。
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