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【魏歴】 武帝期後半
建安六年 (201)
四月
曹操 袁紹軍駐屯地の倉亭を攻撃
九月
曹操 許に帰還
曹操 汝南の劉備を征討
劉備が劉表のもとへ逃亡
時期不明
司馬懿 郡の上計掾に推挙される 【晋書 宣帝紀】
張遼 魯国に派遣され、諸県を平定する
【管理者註】袁紹を打ち破ってからの派遣なので、この年あたりだと思われる。
張遼 夏侯淵と共に東海で昌豨を包囲し、降伏させる
夏侯淵 張遼と共に東海で昌豨を包囲し、降伏させる
建安七年 (202)
春正月
曹操 譙に駐留
夏五月
袁紹 死去 病死 袁尚があとを継ぐ
袁譚 車騎将軍を自称
秋九月 曹操 袁尚・袁譚を攻撃して打ち破る
建安八年 (203)
春三月
曹操 敗走した袁尚・袁譚を追撃し、さらに敗走させる
張遼 裨将軍 → 行中堅将軍
夏四月
曹操 軍を鄴に進める 袁尚を攻撃するが鄴を落とせず
張遼 袁尚攻撃に参加
五月
曹操 許に帰還
曹操 賈信を黎陽に駐屯させる
七月
曹操 学問を奨励する布令を出す
八月
曹操 劉表を征討し西平に駐屯
袁譚が曹操に降伏
曹操 西平から軍を返し戻る
十月
曹整と袁譚の娘が結婚
呂曠と呂翔が袁尚から離反し曹操に降る
呂曠 列侯
呂翔 列侯
時期不明
荀彧 侍中・尚書令・万歳亭侯
郭嘉 軍祭酒・洧陽亭侯
張遼 楽進と共に陰安を攻め落とし、そこの住民を河南へ移住させる
楽進 張遼と共に陰安を攻撃
建安九年 (204)
春正月 曹操、運河を作り糧道を確保
二月
袁尚 袁譚をふたたび攻撃
尹楷 武安の長 袁尚配下で毛城に駐屯し糧道確保
曹操 鄴を攻撃
張遼 鄴攻撃に参加
韓範 易陽の令 曹操に降伏し関内侯に報じられる
梁岐 渉の長 曹操に降伏し関内侯に報じられる
夏四月
曹操 曹洪を鄴包囲に残し尹楷を攻撃して打ち破る
秋七月
袁尚 鄴救援に戻る
袁尚 曹操に打ち破られる
袁譚 甘陵・安平・渤海・河間を攻略
袁尚の支配地の攻略だと思われ、曹操に降伏した身でありながら許可なく軍事行動を起こした。
この事が8月の袁譚攻撃の理由となる。
八月
曹操 鄴を陥落させ平定する
高幹 并州牧 曹操に降伏し 并州刺史
九月
曹操 冀州牧となり 兗州牧を返上
曹操 布令を出し、冀州の一年間の租税を免除した。
袁譚 袁尚を攻撃して打ち破り軍を吸収し平原に入る
曹操 平原の袁譚に向けて軍を進める
袁譚 南皮に逃げる
十二月
曹操 平原に入り諸県を平定
時期不明
夏侯惇 建武将軍・河南尹・高安郷侯 → 伏波将軍・河南尹・高安郷侯
鄴を陥落させた後
張遼 鄴が落ちた後に趙国と常山を攻め落とし、さらに黒山の孫軽らを降伏させる
賊討伐後、鄴に帰還して盪寇将軍に任じられる
後に荊州を攻撃して江夏諸軍を平定し臨潁に駐屯。
建安十年 (205)
春正月
曹操 南皮の袁譚を攻撃
袁譚 死去 曹操に打ち破られ妻子ともども処刑される
焦触 袁煕・袁尚の配下の将だったが離反する
張南
袁煕 焦触・張南が離反し攻撃されて烏丸の庇護を求めて逃亡
袁尚
焦触 曹操に降伏し列侯に封じられる
張南
時期不明 冀州平定後(袁譚処刑後)
昌豨 曹操から離反し、反乱を起こす
于禁 昌豨討伐に派遣されるが攻略できず
夏侯淵 後発で昌豨討伐に昌豨討伐に派遣される
昌豨 死去 夏侯淵と于禁に敗れ処刑される
荀攸 軍師 陵樹亭侯
「管理者註」
建安8年に荀彧と郭嘉が侯に封じられているので、荀攸の封爵も建安8年かもしれない。
夏侯淵 督軍校尉 → 典軍校尉
夏四月
張燕 曹操に降伏し列侯に封じられる
趙犢、霍奴が幽州刺史と涿郡太守を殺害
烏丸族が鮮于輔を攻撃
秋八月
曹操 烏丸族を征討を開始
并州刺史 高幹が反乱する
楽進と李典が高幹を攻撃
高幹壺関城にたてこもる
九月 曹操、布令を出す
建安十一年 (206)
春正月 曹操、壺関城に立て籠る高幹を征討
皆殺しの命令を出すが曹仁に反対されて撤回【曹仁伝】
三ヵ月後 曹操、壺関城を陥落させる
高幹が荊州に逃走
王琰 上洛都尉 逃走中の高幹を捕ら斬る
八月 海賊の管承に楽進・李典を派遣し征討
管承、逃走する
昌慮郡が廃止となる
建安十二年 (207)
春二月 曹操、鄴に帰還
丁酉(5日)
曹操 布告を出し功臣二十余名を列侯に封じた。
張遼 都亭侯に封じられる
荀彧 1000戸加増される 万歳亭侯 【荀彧伝】
荀攸 400戸加増される 陵樹亭侯 中軍師に転任 【荀攸伝】
夏侯惇 1800戸加増される 高安郷侯
壺関陥落後 曹仁 都亭侯に封じられる【曹仁伝】
《管理者》壺関陥落後の事であることから、二十余名の中に含まれると思われる。
曹操 柳城の袁尚・烏丸征討を決める。
張遼 柳城の袁尚・烏丸征討に従軍
夏五月 遠征軍、無終に到着
秋七月 大洪水で遠征軍の計画した道が不通になる
田疇が道案内をつとめ柳城をめざす
史渙 領軍
八月 白狼山の戦い 烏丸の勢力を打ち破る
九月 曹操、柳城から帰還の途につく
公孫康 遼東太守 袁尚・袁煕の首を斬り送ってくる
袁尚 死去
袁煕 死去
十一月 曹操、易水に到着
時期不明
郭嘉 病死 齢38歳 諡貞侯 諡号は正始年間に贈られたもの
建安十三年 (208)
春正月 曹操、鄴に帰還
玄武池を作って水練
韓浩 護軍 → 中護軍 
「管理者註」
官名の改称であって昇進や転任ではないが、長史や司馬の属官が設置される。
史渙 領軍 → 中領軍・列侯
「管理者註」
おそらく韓浩の中護軍の事例と同じ。
列侯の綬爵は前年の功臣二十余名のうちの一人と推測する。
張遼 長社に派遣され駐屯
陳蘭・梅成が反乱を起こす
于禁 陳蘭討伐に派遣される
臧覇
張遼 張郃・牛蓋を指揮して梅成討伐
于禁 陳蘭が表向き降伏してきたので帰還する
張遼 再び背いた
夏六月
三公を廃止。丞相と御史大夫を置く
曹操 丞相
御史大夫は中丞を部下とせず長史を置く
徐璆 太常 武帝紀「献帝起居」
秋七月
曹操 劉表征討の軍を出発させる
曹仁 行征南将軍に任じられて劉表征討に参加【曹仁伝】
陳矯 行征南将軍長史【曹仁伝】
八月
劉表 死去
郗慮 光禄勲 → 御史大夫(※3)
(※3) 武帝紀註「江表伝」より
原文 慮從光祿勳遷為大夫
ちくま訳 光禄勲から昇進して光禄大夫となる
九月 曹操、新野に到達
劉琮、曹操に降伏
劉備、夏口に逃走
曹操、江陵に軍を進める
文聘 江夏太守
降伏した元劉表の部下十五人を列侯とした
劉璋 益州牧 曹操に兵を提供
梁鵠 司馬 武帝紀註の「四体書勢」より (※1) 
(※1) 原文 署軍假司馬,使在祕書
金旋 中郎将・武陵太守※「三輔決録」劉備伝より
李立 荊州刺史 【劉表伝・捜神記】
劉琮 青州刺史 後に青州刺史・諫議大夫・参同軍事
蒯越 光禄勲
韓嵩 大鴻臚
【劉表伝・先賢行状】
鄧羲 侍中
劉先 尚書令
十二月 孫権が合肥を攻撃。(※2)
曹操、張憙を合肥の救援に向かわせる。(※2)
(※2) 呉志では赤壁の後に孫権が合肥を攻撃とある
孫盛の「異同評」では呉志のほうが正しいと言っている
曹操、赤壁に到着
曹操、赤壁にて劉備に打ち破られる
この年の月日が特定できない出来事など
趙温 司徒
曹丕 趙温に招聘されるが出仕せず。
趙温 司徒を免職される。
司馬懿 文学掾 曹操が丞相になった後 【晋書:宣帝紀】
文学掾 → 黄門侍郎 → 議郎 → 丞相東曹掾 → 主簿 【晋書:宣帝紀】 
建安十四年 (209)
史渙 死去 中領軍
《管理者》赤壁における曹操軍の高級武官の死亡例だと思われる。
夏侯淵 典軍校尉 → 領軍
三月
曹操 譙に帰還
夏侯淵 廬江の雷諸を攻撃
七月
曹操 合肥に陣取る
曹操 布告を出し揚州の郡県に長史を置く
夏侯淵 領軍 → 行征西護軍
徐晃を指揮して太原郡の賊を討つ
十二月
曹操 譙に帰還
曹仁 都亭侯 → 安平亭侯
建安十五年 (210)
曹操 布告を出す 「求賢令」
銅雀台が築かれる
建安十六年 (211)
春正月
曹丕 五官中郎将・副丞相 属官を置く
庚辰(12日) 曹植 平原侯 武帝紀註「魏書」より
曹拠 范陽侯 武帝紀註「魏書」より
曹豹 饒陽侯 武帝紀註「魏書」より
商曜が大陵で反乱
夏侯淵 領軍 → 行征西護軍
夏侯淵・徐晃が大陵に派遣され商曜を撃破
【夏侯淵伝より】
行征西護軍となり徐晃を指揮して太原に派遣し20余りの屯営と其の城を攻め降し商曜を斬った。
張魯が漢中を占拠
三月 鍾繇を張魯討伐に派遣
夏侯淵に鍾繇と合流するように命令
馬超・韓遂・楊秋・季堪・成宜が反乱
曹仁を馬超討伐に派遣
曹仁 行安西将軍に任命されての派遣。【曹仁伝】
秋七月
曹操、西方討伐に赴き馬超と対陣
徐晃・朱霊も曹操に随行して陣を張る
丁斐 校尉 牛や馬を放ち、馬超の軍を乱す
八月
曹操、潼関に到着 武帝紀裴松之註「魏書」より
九月
曹操、渭水を渡る(※2)【武帝紀】
(※2) 裴松之註では閏八月
張郃も従軍 武帝紀註「曹瞞伝」より
賈詡の計略「疑書」
曹操、馬超・韓遂らを打ち破り関中平定
冬十月 曹操、楊秋征討で安定を包囲
楊秋、曹操に降伏
十二月 曹操、安定から帰途につく
長安に夏侯淵を駐留させる 【武帝紀】
正確な時期不明な出来事
曹操が馬超討伐に西方へ出征すると、田銀と蘇伯が反乱を起こす。
【曹仁伝】【程昱伝】【国淵伝】【常林伝】【鮮卑伝】に出来事の記載あり。
曹仁 行驍騎将軍に任じられ、田銀と蘇伯を討伐し反乱を鎮圧する。
建安十七年 (212)
春正月
曹操 鄴に帰還
曹操 前漢の相国蕭何と同等の特権待遇が与えられる
夏侯淵 行征西護軍 → 行護軍将軍 朱霊・路招を指揮下に置き長安駐屯 
朱霊 夏侯淵の指揮下に入り長安に駐屯
路招 夏侯淵の指揮下に入り長安に駐屯
夏侯淵 南山を拠点とする賊の劉雄を撃破し、従っていた者たちを降伏させた。
夏侯淵 馬超勢力残党の梁興を討伐し、攻め破って梁興を斬る 【武帝紀・夏侯淵伝】
博昌亭侯に封じられる
魏郡に周辺の複数の県が組み入れられ巨大化
10月
曹操 孫権討伐に向かう
荀彧 侍中・守尚書令・万歳亭侯 → 侍中・光禄大夫・持節・万歳候・参丞相軍事
荀彧 死去 
齢五十歳 諡敬侯 
【管理者註】 実際に諡号をを贈られたのは後年だと思われる
時期不明
建安十八年 (213)
春正月
曹操 濡須口に軍を進める
曹操 孫権の西岸側陣営を打ち破る
公孫陽 孫権軍の都督 捕虜となる
曹操、軍を引き上げる
十四州を九州にまとめる
夏四月
曹操、鄴に帰還
五月
丙申(22日) 天子より、曹操を魏公とする勅書が下る
曹操 魏公・丞相・冀州牧
詔より 九錫を与えられ、魏公国の制度は漢初期の諸侯王の制度と同じとし丞相・冀州牧はそのまま兼任する
郗慮 御史大夫 持節し天子の使者となる。
潘勗 尚書左丞 詔の文章を作成 武帝紀註より
魏公就任時の布令内にある任官表(別ページ予定) 
秋七月 魏の宗廟を建立
曹操の娘三人が天子の後宮に入る
王邑 使持節・行太常・大司農・安陽亭侯(※1)
(※1) 武帝紀註「献帝起居」より
曹操の娘を迎えに行く使者
ちくま訳「使持節行太常大司農安邑侯
九月 金虎台を築く
冬十月 魏郡を東西に区分して都尉を置いた。
十一月 魏国に尚書・侍中・六卿を設置した。
荀攸 尚書令(※2)
涼茂 尚書僕射
毛玠 尚書
崔琰 尚書
常林 尚書
徐奕 尚書
何夔 尚書
王粲 侍中
杜襲 侍中
永覬 侍中
和洽 侍中
(※2) この年に就任は列伝にもある。
11月というのは武帝紀註「魏氏春秋」より
おそらく上記の尚書などは魏の官
馬超・千万が反乱し興国に陣取る 【武帝紀】
韋康 馬超に攻撃され死去 涼州刺史 
夏侯淵 馬超・千万の反乱討伐に派遣される 【武帝紀】
夏侯淵 馬超と交戦するが劣勢となり敗走
建安十九年 (214)
趙衢・尹奉が馬超を討伐し馬超が漢中に逃亡
夏侯淵 氐族の千万を敗走させその物資を入手
假節される
夏侯淵が韓遂を討伐【武帝紀】
安東郡・永陽郡を省く
毋丘興 安定太守
本当に、この年の事かは疑問がある
范陵 校尉
毋丘興の部下
劉艾 宗正
武帝紀註「献帝起居」より
〇丹 侍中
武帝紀註「献帝起居」より
三月
魏公を諸侯王の上に置く。
楊宣 左中郎将
武帝紀註「献帝起居」より
裴茂 亭侯
武帝紀註「献帝起居」より
七月
曹操 孫権を征討
傅幹 参軍
最終官職は丞相倉曹属 武帝紀註「九州春秋」より
十月
夏侯淵が宋建を討伐し、宋建を斬る。【武帝紀】
曹操 合肥から帰還
張遼・楽進・李典・薛悌が合肥に駐屯
薛悌 護軍
十一月 伏皇后が廃され処刑される
郗慮 御史大夫(※6)
(※6) 武帝紀註「曹瞞伝」より
十二月 曹操、孟津に到着
理曹掾属が設置される(※7)
(※7) 法政に詳しい人が配属される部署?
出征軍が編成された時に軍の裁判を担当すると思われる。
時期不明
荀攸 死去 齢58歳 諡敬侯 正始年間に諡号が送られる 【荀攸伝】
「管理者註」
正始5年(244)11月癸卯(21日)に太祖廟の庭に祀られた時、諡号が贈られたと思われる。
建安二十年 (215)
春正月 献帝、曹操の娘を皇后とする
雲中・定襄・五原・朔方の四郡を県とする。
上記四県を併せて新興郡とした。
三月
曹操 張魯討伐のために陳倉に到着
司馬懿 張魯討伐に従軍 【晋書:宣帝紀】
韓浩 張魯討伐に従軍
この後、曹操存命中に死去。詳しい時期は不明
夏四月
曹操 陳倉→散関→河池に到着
五月 曹操、氐族の王、竇茂を討伐し陥落させる。
韓遂 死去 七十余 歳
年齢の記述は武帝紀註「典略」より
曹操のもとへ西平・金城を選挙していた麴演と蒋石が韓遂の首を送ってくる。
秋七月 曹操、陽平に到着し張衛を撃破。
張魯逃亡
漢寧郡を漢中郡とした。
安陽・西城県を併せて西城郡とし太守を置く。
錫県・上庸県を併せて上庸郡とし都尉を置く。
八月 孫権が合肥攻撃。
孫権、撤退する。
張遼 征東将軍
九月 巴の豪族である朴胡と杜濩が帰順。
朴胡 巴東太守・列侯
杜濩 巴西太守・列侯
曹操が独断で諸侯・太守・国相を任命できるようになる。
『漢魏春秋』に独断任命の権限を与える詔勅が載る。おそらく魏国の範囲内での任命。
冬十月 名号侯の爵位が設けられる。【武帝紀】
十一月 張魯、曹操に降伏
張魯の子弟が列侯に封じられる。
曹操 劉備が益州を手に入れたので、張郃を派遣し攻撃させる。 【武帝紀】
張飛によって打ち破られたものだと思われる
夏侯淵 行護軍将軍 → 行都護将軍 【夏侯淵伝】
徐晃と張郃を指揮し、巴郡を平定 【夏侯淵伝】
十二月
曹操 南鄭から帰途に着く 【武帝紀】
曹操 夏侯淵を漢中に駐屯させる 【武帝紀】【夏侯淵伝】
【管理者註】 夏侯淵伝のこの部分の記述が武帝紀と若干前後するので注意が必要
王粲 侍中(※1)
(※1) 武帝紀註に、侍中王粲が漢中遠征を讃えたとある。
建安二十一年 (216)
夏侯淵 封邑を300戸加増され、合計800戸となる 【夏侯淵伝】
夏侯淵 行都護将軍 → 征西将軍 【夏侯淵伝】
春二月
曹操 鄴に帰還
三月
曹操 籍田を耕す
夏五月
劉艾 使持節・行御史大夫・宗正
曹操を魏王に封じる事を伝える勅使
曹操 魏王に封じられる
『後漢書 献帝伝』より 冀州牧と丞相の位はそのまま
行単于 普富廬 来朝
秋七月
匈奴南単于 呼廚泉 来朝
八月
鍾繇 大理 → 相国に任命
曹操、魏国に宗正と奉常を設置
冬十月
曹操 兵の観閲を行う
曹操 孫権征討に向かう
夏侯惇 孫権征討に参加
十一月 譙に到着
建安二十二年 (217)
春正月
曹操、居巣に陣取る
二月
曹操、軍を進めて郝谿に陣を布く
濡須口の孫権を攻撃
孫権が退却する
三月
曹操、帰途に着く
夏侯惇・曹仁・張遼を居巣に残し駐屯させる。
夏侯惇 二十六軍を督し、居巣に駐屯
夏四月
曹操、入朝する際の特別待遇が許可される。
五月
泮宮を作る。
ちくま訳で、括弧して諸侯が作る学校と説明している
六月
華歆 軍師 → 御史大夫に任命
魏国に衛尉を設置(※1)
(※1) 武帝紀註「魏書」より
冬十月 冬十月
曹丕 魏の王太子となる
五官中郎将の官職が、そのままなのか現在のところ不明
司馬懿 太子中庶子 【晋書:宣帝紀】
後に司馬 【晋書:宣帝紀】
劉備が張飛・馬超・呉蘭を下弁に駐屯させる。
曹洪を下弁に派遣する。
胡修 荊州刺史 【晋書:宣帝紀】
傅方 南郷太守 【晋書:宣帝紀】
建安二十三年 (218)
春正月
吉本 大医令
耿紀 少府 
武帝紀註「三輔決録」より 丞相掾→侍中→侍中・行少府と昇進
韋晃 司直
王必 丞相長史
厳匡 典農中郎将
許で反乱が起きる
曹洪、呉蘭の軍を破り、将の任夔を斬る
三月
張飛・馬超、漢中に退却
【管理者註】この前後に劉備が陽平関に陣取ったと思われる。
夏四月
代郡と上谷の烏丸が反乱
曹彰を烏丸討伐に派遣する
秋七月
曹操、観兵を行い劉備討伐に出発
九月
曹操 長安に到着
冬十月
曹仁 関羽を攻撃
宛の守将 侯音が反乱 南陽太守捕われる
東里袞 南陽太守(※1)  この後、于禁の司馬となる(※2)
宗子卿 南陽郡功曹(※1)
(※1) 武帝紀註『曹瞞伝』より
応余 死去 南陽郡功曹(※2)
(※2) 高貴郷公伝 甘露3年の記事より
曹仁 宛を包囲
曹叡 武徳侯 に封じられる 【明帝紀】
建安二十四年 (219)
春正月
曹仁 宛を陥落させ侯音を斬る
夏侯淵 死去 諡 愍侯
三月
曹操、長安→斜谷→陽平に到着
楊脩 主簿 武帝紀註『九州春秋』
夏五月
曹操、軍を引き上げ長安へ向け帰還する
秋七月
卞氏 王后とする。
于禁を曹仁の援軍として派遣
八月
漢水が氾濫
于禁の率いる軍勢が水没し、于禁が関羽に捕われる
徐晃を援軍として送る
胡修 荊州刺史 関羽に降る 【晋書:宣帝紀】
傅方 南郷太守 関羽に降る 【晋書:宣帝紀】
九月
魏諷 西曹掾
陳禕 長楽衛尉 武帝紀註『世語』より
鍾繇 魏諷の罪に連座して相国を免職になる
冬十月
曹操、洛陽に到着
孫権より上奏文
曹操、関羽征討に向かう
徐晃、関羽の陣を打ち破る
曹操 摩陂に駐屯
陳羣 侍中 武帝紀註『魏略』より
桓階 尚書 武帝紀註『魏略』より
この年
夏侯惇 前将軍
建安二十五年 (220)
延康元年
春正月
曹操、洛陽に到着
孫権が関羽の首を送ってくる
庚子(23日) 曹操崩御 六十六歳
曹操 諡号 武帝
華歆 使持節御史大夫 (※)武帝紀註「漢紀」
曹丕 丞相・魏王に即位
卞氏 王太后
延康に改元
二月
壬戌(16日) 賈詡 太中大夫 → 太尉
華歆 御史大夫 → 相国
王朗 大理 → 御史大夫
散騎常侍と侍郎を4人設置
宦官は諸管署の令以上になれない布令を発す。
司馬懿 河津亭侯・丞相長史 【晋書:宣帝紀】 
曹丕が魏王を継いでからであり、任命月日不明
丁卯(21日) 曹操 高陵に埋葬される
三月
己卯(3日) 夏侯惇 前将軍 → 大将軍
張遼 征東将軍 → 前将軍
【管理者註】
曹丕が魏王に即位した時の任命とあるので、夏侯惇が前将軍から大将軍への昇進後と予想できるのでこの位置の記述とした。
夏四月
庚午(25日) 夏侯惇 大将軍 死去
諡 忠侯
五月
戊寅(3日)
曹嵩 太王
丁氏 王太后
曹叡 武徳侯
鄭称 武徳侯の傅とする。 ※文帝紀註「魏略」
賊の鄭甘と王照が降伏してくる。 ※文帝紀註「魏書」
鄭甘 列侯
王照 列侯
蘇則 金城太守 反逆した張進を斬る。黄華が降伏する。
六月
(7日) 軍の観閲
(26日) 南征へ出発
霍性 度支中郎将 上書し曹丕を諫言する ※文帝紀註「魏略」
七月
孫権が献上物と使者を送ってくる。
孟達が降伏してくる
楊僕 武都郡の氐族の王 魏に服属し漢陽郡に居住
孟達 新城太守・列侯 ※文帝紀註「魏略」
八月
石邑県に鳳凰が群れたとの報告
十月
張音 兼御史大夫 節をもって曹丕に献帝より禅譲の旨を告げる。
魏国の官職ではなく、漢王朝の官職
庚午(28日) 曹丕 皇帝 即位 曹丕、壇に登って献帝から禅譲を受ける。
年号を延康から黄初に改める。
大赦令を出す。
「献帝伝」では辛未(29日)
 
 
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