三国志を中心にした中国史を調べて適当に思いついた事を綴ったサイト
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◆【魏歴】高貴郷公期 魏歴に戻る 斉王期嘉平年間に戻る
正元2年(255)
正月
乙丑(12日) 毋丘倹 鎮東将軍
文欽 揚州刺史
戊寅(25日) 司馬師 大将軍 毋丘倹と文欽の征伐に向かう
癸未(30日) 郭淮 車騎将軍 死去
閏正月
己亥(16日) 楽嘉で文欽の軍勢を破る
敗れた文欽は呉に出奔する
甲辰(21日) 安風津都尉が毋丘倹を斬り、その首を都に送る
壬子(29日) 毋丘倹と文欽仲若の反乱に加担した民に特赦が出される
諸葛誕 鎮南将軍 → 鎮東将軍
司馬師 大将軍 死去
2月
丁巳(5日) 司馬昭 衛将軍 → 大将軍・録尚書事
甲子(12日) 呉が寿春を攻撃する 諸葛誕が呉軍を撃破
3月
卞氏 皇后となる
4月
甲寅(3日) 卞隆 列侯に封じられる。 皇后卞氏の父
甲戌(23日) 王昶 征南大将軍 → 驃騎将軍
5月
6月
7月
胡遵 征東大将軍 → 衛将軍
諸葛誕 鎮東大将軍 → 征東大将軍
8月
辛亥(2日) 蜀の姜維が狄道に侵入
王経 雍州刺史 姜維を迎え撃つが敗北
戊辰(19日) 司馬孚 太尉 姜維を防ぐための後続として派遣される
辛未(22日) 鄧艾 長水校尉 → 行安西将軍
陳泰 征西将軍 鄧艾と協力して姜維を防ぐ
9月
庚子(21日) 帝が尚書の授業を終える
鄭沖 司空 下賜品を賜る
鄭小同 侍中 下賜品を賜る
甲辰(25日) 姜維が引き上げる
10月
11月
癸丑(5日) 洮西の戦の戦死者の遺体を回収埋葬するように命令する詔勅が出る。
甲午(16日) 隴右四郡と金城に恩赦
12月
この年
甘露元年(256)
正月
辛丑(24日) 軹縣の井戸に清流が出現
乙巳(28日) 曹林 沛王 死去
2月
丙辰(9日) 太極殿の東呉店で宴会 【高貴郷公伝】「魏氏春秋」
侍中荀顗、尚書崔贊、袁亮、鍾毓、給事中・中書令虞松らが帝と議論 【高貴郷公伝】「魏氏春秋」
上記議論を侍郎・鍾会が記録編纂した 【高貴郷公伝】「魏氏春秋」
3月
4月
庚戌(4日) 司馬昭 帝より品物を下賜される
丙辰(10日) 曹髦 太学に行幸 儒学者に質問する
淳于俊 易学博士 曹髦の質問に答える
5月
鄴などから甘露が降った報告がよせられる
6月
丙午(1日) 年号を甘露に改元
乙丑(20日) 元城に青龍出現
7月
己卯(5日) 胡遵 衛将軍 死去
癸未(9日) 鄧艾 安西将軍 上邽で蜀の姜維を撃破する
8月
庚午(26日) 司馬昭 大将軍 大都督の号が加えられ、黄金の越が假される。
癸鶏(29日) 司馬孚 太尉 → 太傅  ※ちくま訳では「太尉」を「大将軍」と誤植あり。
9月
高柔 司徒 → 太尉
10月
鄭沖 司空 → 司徒
盧毓 尚書左僕射 → 司空
11月
12月
この年
甘露2年(257)
正月
2月
温県の井戸に青龍出現
3月
盧毓 司空 死去
4月
癸卯(3日) 王簡 忠義都尉
玄菟郡高顯県で起きた反乱で殺された県長の鄭熙の遺体を郷里に届けた行いを評されての任官
甲子(24日) 諸葛誕 征東大将軍 → 司空
5月
辛未(1日) 曹髦 辟雍に行幸 辟雍にて会合を行い詩作を群臣に命じる
詩作が滞った和逌と陳騫を免官にするよう奏上があったが却下する
和逌 侍中
陳騫 尚書
乙亥(5日) 諸葛誕 反乱を起こし揚州刺史の樂綝を殺害する
樂綝 揚州刺史 死去
丙子(6日) 淮南の流民に恩赦
丁丑(7日) 帝曹髦が皇太后と共に征伐に赴く意思の詔勅を下す
己卯(9日) 諸葛誕に従わず寿春の城から脱出した龐会と路蕃を表し爵位を進める詔勅が下される
龐会 平寇將軍・臨渭亭侯 → 郷侯
路蕃 騎督・偏將軍 → 亭侯
6月
乙巳(6日) 孫壱 侍中・車騎将軍・假節・交州牧・吳侯・開府辟召儀同三司
※開府辟召儀同三司の区切りがわからない。
甲子(25日) 曹髦 出征し項に駐留
裴秀 散騎常侍
鍾会 給仕黄門侍郎
司馬昭に裴秀と鍾会を同行させる。
7月
8月
諸葛誕の反乱計画に反対し、殺害された主簿の宣隆と部曲督の秦絜の子を騎都尉に任じる。
9月
大赦
10月
11月
12月
全端 降伏してくる
全懌 降伏してくる
この年
甘露3年(258)
正月
2月
司馬昭 寿春を陥落させ諸葛誕を斬る
諸葛誕 死去
3月
詔勅により、丘頭を武丘と地名を改称
丘頭は、司馬昭が寿春攻撃の時に本拠を置いた場所
4月
5月
司馬昭 大将軍 → 相国・晋公などの昇進と授与を固辞する 
6月
応倫 官吏にとりたてられる 何になったかは不明
群の功曹だった応余の孫 応余 建安23年の侯音の反乱で殺害される 【高貴郷公伝】
辛卯(28日) 淮南での諸葛誕討伐の論功が行われる
7月
8月
甲戌(12日) 王昶 驃騎将軍 → 司空
丙寅(4日) 王祥 三老 (関内侯)
鄭小同 五更 (関内侯)
この三老と五更については、様々な注釈が付き説明が一定していない。
9月
10月
11月
12月
この年
頓丘県 冠軍県 陽夏県の井戸に青龍出現
曹奐 安次県の常道郷公に封じられる 「陳留王伝」より
甘露4年(259)
正月
寧陵県の井戸に青龍が2匹出現
2月
3月
4月
5月
6月
王昶 死去 司空
7月
曹峻 死去 陳留王
8月
9月
10月
丙寅(10日) 新城郡を分割し、再び上庸郡を設置
11月
癸卯(18日) 孫壱 死去 女官に殺害される 車騎将軍
12月
この年
甘露5年(260)
正月
朔日 日食
2月
3月
4月
司馬昭 大将軍 昇進授与を固辞
5月
己丑(7日) 曹髦 死去
司馬昭を排除するために挙兵するが、逆に殺される
王沈 侍中 
曹髦挙兵を司馬昭に報告
王業 散騎常侍
曹髦挙兵を司馬昭に報告
王経 尚書
曹髦挙兵を司馬昭に報告せず
高貴郷公伝 註 漢晋春秋より
司馬伷 屯騎校尉
曹髦挙兵を聞き手勢を連れて宮中に駆け付けるが、曹髦の側仕えに怒鳴られ手勢が逃げ出す
賈充 中護軍
帝の曹髦殺害を成済に命令する
成済 太子舎人
賈充の命令で曹髦を刺殺する
高貴郷公伝 註 魏氏春秋より
戊子(6日) 曹髦 この日の夜に挙兵決行
李昭 宂従僕射
曹髦挙兵に従う
焦伯 黃門從
曹髦挙兵に従う
成倅 騎督
賈充麾下の騎督。 成済の兄
高貴郷公伝 註 魏末伝より
成済 張下都督 
賈充の命令で兄の成済と共に挙兵した曹髦を攻撃する
庚寅(8日) 司馬孚 司馬昭 高柔 鄭沖が皇太后に曹髦挙兵の顛末を報告し、王侯の礼での葬儀と決定
高貴郷公伝 註 漢晋春秋より
丁卯 曹髦 旗指物もない車で運ばれて洛陽の北西30里にある瀍澗の地に埋葬される
王侯の礼での埋葬葬儀であるはずなので、歪曲された記述であると裴松之が指摘
司馬炎 使持節・行中護軍・中塁将軍
常道鄉公の曹璜を迎えるために北方へ向かう命令を受ける
辛卯(9日) 皇太后の命令書を詔制と号するのがよいとする奏上が行われる
癸卯(21日) 司馬昭 自身や一族への昇進や恩賞授与を固辞
戊申(26日) 司馬昭 成倅・成済の罪を皇太后に言上
高貴郷公伝 註 魏氏春秋より
成倅・成済 死去
罵詈雑言を吐きながら捕縛に抗うが、矢を射かけられて倒される
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
この年
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