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【蜀歴】 安楽公前期  
建興二年 (224)
越嶲方面への関門を閉ざした。
時期不明な、この年の出来事

建興三年 (225)
春三月
諸葛亮 益州南方四郡へ進軍する
楊儀 参軍 南征に従軍
益州郡を建寧郡に改称
建寧・永昌を割いて雲南郡を設ける
建寧・牂牁を割いて興古郡を設ける
諸葛亮 益州南方を平定する
十二月
諸葛亮が成都に帰還
時期不明な、この年の出来事

建興四年 (226)
李厳 中都護 永安より帰還して江州に駐留し、大城を築く
時期不明な、この年の出来事
李厳 中都護・假節・都鄉侯・光禄勲 → 中都護・假節・都鄉侯・前将軍
【管理者註】 おそらく光禄勲が外れる

建興五年 (227)
諸葛亮 漢中に出陣し駐屯
魏延 督漢中・都亭侯・鎮北将軍 → 督前部・丞相司馬・涼州刺史・都亭侯・鎮北将軍
趙雲 漢中に駐屯
郭攸之 侍中 ※出師の表
費禕 侍中 
参軍 諸葛亮の漢中出陣に従軍
楊儀 諸葛亮の漢中駐屯に随行
董允 侍中・虎賁中郎将
李厳 江州へ駐屯する【李厳伝】
陳到 護軍 ※李厳の護軍となる【李厳伝】
時期不明な、この年の出来事
建興六年 (228)
諸葛亮、出兵し祁山を攻撃
街亭にて馬謖が敗走
馬謖 死去 ※敗走の責任を負い処刑
諸葛亮 丞相 → 右将軍に降格※丞相の職務はそのまま
趙雲 永昌亭侯・鎮東将軍 → 永昌亭侯・鎮軍将軍に降格
諸葛亮、出兵し陳倉を包囲
時期不明な、この年の出来事
諸葛喬 駙馬都尉  25歳
建興元年とする説もあり。「六」と「元」の字形が似ている為
建興七年 (229)
諸葛亮、陳式を派遣して武都・陰平を攻略平定
諸葛亮 丞相に復職
四月 孫権が称帝
六月
陳震 衛尉 孫権の即位を祝う使者となる ※呉主伝
諸葛亮、陣営を南山に移し漢と楽の城を築く
呉と天下を分割統治する盟約を結ぶ ※後主伝
時期不明な、この年の出来事
趙雲 死去 鎮軍将軍・永昌亭侯 諡号順平侯(261年)
趙統 父趙雲の後を継ぎ 永昌亭侯
李恢 建寧太守
建興八年 (230)
魏が漢中へ進軍するが、大雨で進めず帰還する
魏延、魏の雍州刺史郭淮を破る
李厳 中都護・假節・都鄉侯・前将軍 → 中都護・假節・都鄉侯・驃騎将軍
李厳 李平に改名
李豊 李厳の子 江州都督・督軍 ※父の李厳が江州不在時
【管理者註】 李厳は北伐の補給支援を担っていたとある。その事から推察し、李豊の督軍は督軍糧の事かもしれない。
魏延 前軍師・征西大将軍・假節・南鄭侯
〔前官〕 督前部・丞相司馬・涼州刺史・都亭侯・鎮北将軍
蒋琬  → 撫軍将軍
劉永 魯王 → 甘陵王
劉理 梁王 → 安平王
時期不明な、この年の出来事
建興九年 (231)
春二月
諸葛亮、出兵 祁山を包囲。 木牛を使用
夏六月
諸葛亮、祁山より退却
撤退戦で張郃を射殺する
何平 無当監 ※諸葛亮伝註「漢晋春秋」
秋八月
李厳 職務怠慢を弾劾され、罷免されて梓潼郡に流される
時期不明な、この年の出来事
李恢 死去 
李遺 李恢の後を継ぐ ※李恢の子
張翼 庲降都督・綏南中郎将
李厳弾劾の上表に見られる官位官職
劉琰 行中軍師・車騎将軍・都郷侯
魏延 使持節・征西大将軍・領涼州刺史・南鄭侯
袁綝 前将軍・都亭侯
呉壱 左将軍・領荊州刺史・高陽郷侯
高翔 督前部・右将軍・玄郷侯
呉班 督後部・後将軍・安楽亭侯
楊儀 領長史・綏軍将軍

建興十年 (232)
兵士を休養させ農耕に務める
流馬木牛が完成
時期不明な、この年の出来事
この年前後の出来事
張翼 反乱を起こした劉胄討伐中に召還命令が下され馬忠と交代する。

建興十一年 (233)
米を斜谷口に集め、斜谷の邸閣を整えた
劉胄 南方蛮族 反乱
馬忠 将軍 劉胄を撃破し平定
時期不明な、この年の出来事
建興十二年 (234)
正月
胡氏 劉琰の妻 年賀の挨拶に宮中に参内すると、太后に気に入られ一ヵ月逗留する。
春二月
諸葛亮 斜谷から武功郡の五丈原に出撃し、流馬を利用して物資を輸送。
張翼 前軍都督・扶風太守 諸葛亮の出陣に参加
秋八月
諸葛亮 死去 渭浜にて陣没 54歳 
丞相・武郷侯の印綬を送られる。 忠武侯
諸葛瞻が爵位を継ぐ
杜瓊 使持節・左中郎将 丞相・武郷侯の印綬を贈る使者
魏延と楊儀が、指揮権をめぐり争う
魏延 死去
大赦
習隆 歩兵校尉 襄陽記」諸葛亮の霊廟建立を上奏
向充 中書郎 襄陽記」諸葛亮の霊廟建立を上奏
呉壱 左将軍 → 車騎将軍・假節・漢中都督
蒋琬 撫軍将軍・丞相留府長史 → 撫軍将軍・尚書令 国事を統括
 → 行都護を加官 假節され益州刺史を兼任
 → 大将軍・録尚書事・安陽亭侯
楊儀 長史・綏軍将軍 → 中軍師・綏軍将軍
霍弋 黄門侍郎
張翼 前軍都督・扶風太守 → 前領軍 後に関内侯
時期不明な、この年の出来事
胡氏 劉琰の妻 宮中への長期逗留で劉禅との不倫を疑われ鞭打たれて離縁される
劉琰 死去  離縁した妻に離縁のいきさつを訴えられ、投獄されて処刑される
李厳 死去 諸葛亮の訃報を聞き、悲観して自殺する

諸葛亮死後
宗預 呉への使者となる
侍中 → 尚書

建興十三年 (235)
春正月
楊儀 罷免され庶民に落とされて、漢嘉郡に流された後に自殺する。
夏四月
蒋琬 大将軍
時期不明な、この年の出来事

建興十四年 (236)
夏四月
劉禅 (蜀郡)湔県に巡遊する 
武都の氐族を広都に移住させる
時期不明な、この年の出来事

建興十五年 (237)
夏六月
張氏(姉) 張皇后 死去
張氏(妹) 後宮に入り貴人となる
時期不明な、この年の出来事
建興十六年 延煕元年(238)
春正月
張氏(妹) 皇后に立てられる 前年に亡くなった皇后の妹
向朗 行丞相事・左将軍 持節し、張氏(妹)に皇后の璽綬を授ける使者となる
【管理者註】 通例なら守丞相。守であろうと諸葛亮と同じ丞相を避け、丞相の儀礼行為の代行者としたのだろうと思われる。
大赦
延煕に改元
劉璿 皇太子
向朗 行丞相事・左将軍 
持節し、劉璿に皇太子の璽綬を授ける使者となる
劉瑤 安定王
冬十一月
蒋琬 進軍して漢中に駐屯 漢中にて幕府を開く
時期不明な、この年の出来事
張翼 前領軍 → 尚書
後に督建威・假節・都亭侯・征西大将軍 正確な時期は不明

延煕二年 (239)
春三月
蒋琬 大司馬
時期不明な、この年の出来事

延煕三年 (240)
張嶷 越嶲太守 越嶲郡を平定
時期不明な、この年の出来事

 
 
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