三国志を中心にした中国史を調べて適当に思いついた事を綴ったサイト
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◆【魏歴】 武帝期前半
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永寿元年 (155)
曹操  生まれる.
(※1) 数え年なのでこの年です。
熹平三年 (174)
曹操 孝廉に推挙され郎となる。(※2)
(※2) 数え年で二十歳なのでこの年。
熹平四年 (175)
この年以降
梁鵠 選部尚書(※1) 武帝紀註の「四体書勢」より
(※1) 曹操を北部尉に選ぶ
曹操 洛陽北部尉
曹操 頓丘の令
曹操 親族の罪に連座して免職
曹操 議郎
熹平五年 (176)
熹平六年 (177)
光和元年 (178)
光和二年 (179)
光和三年 (180)
光和四年 (181)
光和五年 (182)
光和六年 (183)
光和七年・中平元年 (184)
張角蜂起 黄巾の乱勃発
曹操 騎都尉
曹操 都尉(※1)武帝紀註「魏武故事」より
(※1) 典軍校尉の前 騎都尉の事か?
中平二年 (185)
三月
皇甫嵩 左車騎将軍 北宮泊玉に破れる
八月
張温 司空 → 車騎将軍 北宮泊玉の討伐に向かう
九月
楊賜 司空に任じられる
十一月
張温 車騎将軍 北宮泊玉を破る
この年以降
曹操 済南国の相(※4)
(※4) 黄巾討伐の功績での任官だからこの年以降
曹操 東郡太守(※5)
(※5) 済南国の相の後、任命の沙汰が下るが就任せず帰郷
中平三年 (186)
秦頡 死去 南陽太守 趙慈の反乱で殺される
六月
王敏 荊州刺史 趙慈の反乱を討つ 後に司空(時期不明)
趙忠 車騎将軍となるが罷免
張温 太尉となる
中平四年 (187)
二月
落晧 死去 中牟令 滎陽の賊に殺される
三月
何苗 河南尹 滎陽の賊を討伐する
何苗 車騎将軍となる
十月
孫堅 長沙太守 桂陽・零陵の反乱軍を討った
十一月
曹嵩 大司農 → 太尉
曹丕が生まれる 
中平五年 (188)
四月
曹嵩 太尉を罷免される
五月
樊陵 太尉となる
六月
樊陵 太尉を罷免される
七月
馬日磾 太尉となる
八月
西園八校尉が設置される
曹操 典軍校尉(※2)
(※2) 後漢書 霊帝紀より 西園八校尉の一つ
中平六年 (189)
二月
皇甫嵩 左将軍 王国の反乱を討ち平らげる
三月
劉虞 賊の張純を斬る
鮑鴻 死去 下軍校尉 獄死
四月
馬日磾 太尉を罷免される
劉虞 幽州牧 → 太尉
丙辰 霊帝 崩御 34歳
34は享年で、満年齢では33歳。 【後漢書 霊帝紀註より
戊午 少帝 即位
光喜(光熹) に改元
劉協 渤海王
袁隗 後将軍 → 太傅
何進 大将軍 → 大将軍・録尚書事
蹇碩 死去 上軍校尉 劉協を擁立しようとした事が発覚して投獄され死亡
六月
辛亥 孝仁皇后董氏崩
辛酉 霊帝を于文陵に埋葬
七月
劉忠 死去 甘陵王
劉協 渤海王 → 陳留王
丁宮 司徒を罷免
八月
何進 死去
宮中混乱
少帝・陳留王が宮廷に帰還
昭寧に改元
董卓 司空
九月
甲戌 劉弁 皇帝 → 弘農王 廃位される 
劉協 即位 9歳 【後漢書 献帝紀】
昭寧から永漢に改元
丙子 何皇太后 死去 董卓に殺害される 諡 霊思皇后
乙酉 劉虞 太尉 → 大司馬
董卓 司空 → 太尉
丙戌 楊彪 太中大夫 → 司空
甲午 黄琬 豫州牧 → 司徒
曹操 驍騎校尉
董卓に任命されるが就任せず逃亡
十月
乙巳 霊思皇后を埋葬
荀彧 孝廉に推挙され、守宮令に任官
十一月
癸酉 董卓 太尉 → 相国
十二月
戊戌 黄琬 太尉
楊彪 司徒
荀爽 司空
扶風都尉を省き、漢安都護を設置する 【後漢書 献帝記より】
曹操 旗揚げ
時期不明
荀彧 守宮令 → 亢父令(任地に赴かず帰郷する) 
董卓による乱を避けるために地方官(亢父令)への任官を願い出る 【荀彧伝】
初平元年 (190)
正月
曹操 行奮武将軍
夏侯惇 奮武将軍司馬
二月
黄琬 太尉を罷免
楊彪 司徒を罷免
伍瓊 死去 城門校尉 董卓に殺される
周毖 死去 督軍校尉 董卓に殺される
皇甫嵩 城門校尉
趙謙 光禄勲 → 太尉
王允 太僕 → 司徒
朱儁 河南尹
三月
董卓が洛陽に火を放つ
五月
荀爽 死去 司空
六月
种拂 光禄大夫 → 司空
初平二年 (191)
夏四月
董卓、長安へ引く
皇甫嵩 議郎
秋七月 袁紹、韓馥から冀州を奪う
黒山の賊が魏郡を攻略
曹操、濮陽にて黒山の白繞を破る
曹操 東郡太守 袁紹の上奏 東武陽に政庁を置く
皇甫嵩 議郎 → 御史中丞
荀彧 袁紹のもとを去り曹操の司馬となる
夏侯惇 白馬に駐屯する
初平三年 (192)
曹操、頓丘に陣を置く
夏四月 王允・呂布、董卓殺害
董卓 死去
皇甫嵩 征西将軍 → 車騎将軍
皇甫嵩 太尉となる
皇甫嵩 太尉を免官となるが光禄勲 → 太常
皇甫嵩 死去 驃騎将軍の印綬を贈られる
曹操 領兗州牧
畢諶 兗州別駕従事(※6)
(※6) 原文 『公為兗州 以東平畢諶為別駕 張邈之叛也』
ちくま 『曹操が兗州刺史だった頃』
何故か刺史をくっつける。
夏侯惇 折衝校尉・東郡太守
曹仁 別部司馬・行厲鋒校尉 曹操の傘下に加わる。
≪※≫この年の前後一年以内の事だと思う。
初平四年 (193)
曹操、鄄城に軍をおく。
曹操 軍を戻して定陶に置く。
陶謙 泰山郡を攻撃。
曹操 陶謙征討の為に徐州を攻撃
興平元年 (194)
曹操 徐州から帰還
曹操 徐州を再び攻撃
夏侯惇 濮陽の守備を担当
荀彧 鄄城の守備
張邈が陳宮・呂布と共に反乱
楼異 曹操の司馬
秋九月
曹操 鄄城に帰還
冬十月
曹操 東阿に赴く
この年に 陶謙死去
興平二年 (195)
曹操 定陶を襲撃
呉資 済陰太守 定陶の南城を保持
曹操 定陶の南城を落とせず。
曹操 定陶救援の呂布を撃破。
曹操 鉅野駐屯の呂布の将 薛蘭・李封を撃破
曹操 再び呂布を撃破し、呂布を逃走させる。
曹操 定陶の南城を落す。
秋八月
曹操 雍丘を包囲
秋十月
曹操 兗州牧(※7)
(※7) (※7) 天子からの正式な任命
冬十二月 雍丘を陥落させる。
陳国攻略に向かう。
この年 天子が長安を出る。
建安元年 (196)
春正月 曹操、武平を攻め陳国の相 袁嗣が降伏(※1)
(※1) 袁術が任命した陳国の相
二月
曹操 黄巾賊の劉辟・黄邵を攻撃し打ち破る
曹操 建徳将軍
夏六月
曹操 鎮東将軍
秋七月
献帝 楊奉らと共に洛陽に入る
曹操、洛陽に入る
曹操 節鉞を下賜され、録尚書事となる。
曹操 司隷校尉となる「献帝紀」
董昭の進言をいれ、都を許に移す。
荀彧 曹操の将軍府司馬 → 侍中・尚書令
九月
曹操 大将軍・武平侯
十月
曹操 楊奉を征伐
袁紹 太尉を贈られるが拒否
袁紹 大将軍
曹操 大将軍 → 司空・車騎将軍
この年 屯田制を開始「武帝紀」
呂布が徐州を奪取し、劉備が曹操のもとへ逃げる
張遼 魯国の相
張済が関中から南洋に逃走
張済 死去 
張繍 張済の後継となる
建安の初め
郗慮 侍中 武帝紀註「続漢書」より

曹仁 広陽太守に任じられるが赴任させず。議郎のまま騎兵を率いる。
代官を置いたのか新たに太守を任命したのかは、検証していないので今のところ不明
(2020/05/30)
建安二年 (197)
正月
曹操 宛に赴く
曹仁 宛の近隣の諸県を攻略し住民3000人を捕虜とした。
張繍 曹操に降伏
張繍 曹操に反逆
曹昂 死去
曹安民 死去
典韋 死去
曹仁 張繍の追撃を防ぐ
于禁 張繍の追撃を防ぐ
曹操 舞陰まで後退
秋九月
曹操 陳に侵入してきた袁術を撃破
曹操 許に帰還
南陽・章陵が反逆し張繍につく
曹洪 南陽・章陵に派遣されるが勝てず葉に駐屯
冬十一月
曹操 宛に南征し劉表軍を打ち破る
曹操 舞陰を陥落させる
建安三年 (198)
春正月
曹操 許に帰還
軍師祭酒を設置
三月 曹操、穣で張繍を包囲
五月
劉表が張繍救援の軍を派遣し、曹操の背後に迫る
曹操、穣の包囲を解く
曹操、張繍と劉表の軍を打ち破る
秋七月
曹操 許に帰還
夏侯惇を劉備救援のために派遣するも勝てず
夏侯惇 左目を負傷
九月
曹操 呂布征討に向かう
十月 曹操、彭城を落とし、の侯諧を捕らえる
曹操、下邳まで進軍し呂布と交戦
曹操、呂布を捕らえる
呂布 死去
陳宮 死去
張遼 曹操に仕える  中郎将・関内侯 
曹操、徐州・青州を臧覇らに委ねる
琅邪・東海・北海の三郡から土地を割いて
城陽・利城・昌慮の三郡を新設
夏侯惇 陳留・済陰太守 → 建武将軍を加官 → 高安郷侯に封じられる →河南尹
建安四年 (199)
春二月
曹操、昌邑まで戻る
四月
曹操、史渙と曹仁に晆固を攻撃させる
薛洪 晆固の長史 晆固の配下
繆尚 河内太守 晆固の配下
晆固、打ち破られる
晆固 死去
8月
曹操 黎陽に軍を進める
于禁 黄河の河岸に駐屯
臧覇 青州を攻撃
9月
曹操 許に帰還し兵を分けて官渡を守らせる
11月
張繍が曹操に降伏
張繍 列侯に封じられる
12月
曹操 官渡に陣取る
夏侯淵 行督軍校尉
【管理者註】官途後、三つの州の軍糧を取りまとめる役目を負う事からこの督軍校尉は督軍糧校尉かもしれない。
曹操、袁術の逃亡を阻むため劉備と朱霊を派遣
袁術 死去
車胄 徐州刺史 劉備に殺害される
劉備が徐州で自立する
曹操、劉岱と王忠を徐州に派遣するが勝てず
徐璆 衛尉 (※1)
(※1) 袁術死後に漢の朝廷にて 武帝紀註「献帝起居」
劉勲 廬江太守 孫策に追われ曹操のもとに逃げてくる 列侯に封じられる
建安五年 (200)
春正月
董承 死去 処刑
曹操 劉備征討に出発
劉備が青州の袁譚のもとへ逃亡
曹操 劉備の妻子と関羽を捕らえる
曹操 昌豨討伐 夏侯淵と張遼を派遣
夏侯淵 東海で昌豨を包囲
張遼 東海で昌豨を包囲し降伏させる
曹操 東海にて夏侯淵・張遼と合流
曹操 官渡に戻る
劉延 東軍太守 白馬に駐屯中し、袁紹軍に攻撃される
顔良 死去 関羽に斬られる
文醜 死去 敗死
関羽 劉備のもとへ去る
八月 曹操と袁紹交戦
孫策 死去
汝南にて劉辟が曹操に反逆して袁紹に味方する
袁紹、劉備を汝南に派遣
曹操、曹仁を汝南に派遣して劉辟と劉備を撃破
劉備、袁紹のもとへ戻るが再度汝南へ派遣される
冬十月 曹操、袁紹軍の輜重を守る淳于瓊を攻撃
淳于瓊 死去
袁紹軍瓦解し、袁紹・袁譚河北に逃走。
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