三国志を中心にした中国史を調べて適当に思いついた事を綴ったサイト
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【蜀歴】 安楽公後期 
延煕四年 (241)
冬十月
費禕 尚書令 漢中へ赴く。
年末
費禕、成都へ帰還。

延煕五年 (242)
春五月
姜維 監軍 漢中より涪県に移動し駐屯
時期不明な、この年の出来事

延煕六年 (243)
冬十月
蒋琬 大司馬 漢中より涪県に移動し駐屯
十一月
大赦
費禕 尚書令 → 大将軍・録尚書事
董允 輔国将軍と加官される 
時期不明な、この年の出来事
諸葛瞻 騎都尉 公主を娶ったため

延煕七年 (244)
閏月
魏の曹爽、漢中へ侵攻
王平 鎮北将軍 興勢囲で魏軍をはばむ。
費禕 大将軍 漢中へ救援に行く。
魏軍、退却
夏四月
劉理 安平王 死去 諡号 悼王
劉胤(劉理の子) 劉理の後を継ぐ 安平王
秋九月
費禕、漢中より成都に帰還
時期不明な、この年の出来事
諸葛瞻 羽林中郎将
董允 輔国将軍 侍中 守尚書令
費禕の補佐もしくは、費禕に次ぐ官位となった。

延煕八年 (245)
夏六月
呉氏(穆后) 皇太后 死去
十二月
費禕 大将軍 漢中を視察

延煕九年 (246)
夏四月
費禕 大将軍 成都に帰還
大赦
冬十一月
蒋琬  死去 諡 恭
後主伝註「魏略」より 蒋琬の死により、劉禅自ら国事を見るようになった。
時期不明な、この年の出来事
董允 死去 侍中・守尚書令・輔国将軍
呂乂 尚書 → 尚書令
董允の死後
陳祗 選曹郎 → 侍中
董允の死後 
父・蒋琬の後を継ぐ → 綏武将軍・漢城護軍・安陽亭侯

延煕十年 (247)
白虎文 涼州の蛮王 蜀に帰順 
治無戴 涼州の蛮王 蜀に帰順
姜維 衛将軍 白虎文・治無戴を繁県に居住させる
汶山郡平康の蛮族が反乱
姜維 衛将軍 汶山郡平康の反乱を討伐平定
宗預 屯騎校尉
後に呉への使者となり、孫権に気に入られ真珠を賜る
後将軍・督永安 → 征西大将軍・関内侯 
鄧芝 車騎将軍 江州から成都に帰還して参内する ※【宗預伝】

延煕十一年 (248)
夏五月
費禕 大将軍 漢中に駐屯
涪陵郡で反乱が起きる
鄧芝 車騎将軍 涪陵郡の反乱を討伐平定

延煕十二年 (249)
春正月
魏の大将軍曹爽が処刑される
夏侯覇 魏の右将軍 蜀に帰順
夏四月 大赦
姜維 衛将軍 雍州に侵攻するが戦果をあげられず
句安 将軍 魏に帰順降伏する
李韶 将軍 魏に帰順降伏する

延煕十三年 (250)
姜維 西平に出兵 戦果をあげられず
杜瓊 死去 八十余歳

延煕十四年 (251)
費禕 大将軍 成都に帰還
費禕 大将軍 北方の漢寿に駐屯
大赦
時期不明な、この年の出来事
樊建 校尉となり呉への使者となる
呂乂 死去 尚書令
陳祗 侍中 → 侍中・守尚書令・鎮軍将軍
呂乂の死後

延煕十五年 (252)
孫権 呉王 死去
蜀志では、呉の皇帝と書いていない
劉琮 西河王に封じられる

延煕十六年 (253)
春正月
費禕 大将軍 死去 宴会中に郭循により殺害される
春四月
姜維 衛将軍 南安を包囲するが勝利できず

延煕十七年 (254)
春正月
姜維 衛将軍 成都に帰還
大赦
夏六月
姜維 隴西に出陣
姜維 狄道・河関・臨洮の三県を陥落させる
陥落させた三県の住民を綿竹・繁の二県に移住させた

延煕十八年 (255)
姜維 衛将軍 成都に帰還
張翼 征西大将軍 姜維と共に成都に帰還
姜維 狄道に出陣 洮西にて勝利する
張翼 鎮南大将軍 北伐に参加
姜維 兵を引いて鍾題にとどまる

延煕十九年 (256)
姜維 大将軍に任命される
後主伝にて「位為大將軍,督戎馬」と記載され、
大将軍とは別に兵馬の軍政を任されている。
胡済 鎮西大将軍 上邽で姜維落ち合う手筈だったが行かず。
秋八月
姜維 大将軍 上邽にて撃ち破られ、撤退して成都に帰還
姜維 後将軍に降格が職務は大将軍のまま
劉瓚 新平王に封じられる
大赦
時期不明な、この年の出来事や任官
劉胤 安平王 死去  諡号哀王 
劉承
(劉胤の子)
劉胤の後を継ぐ 安平王

延煕二十年 (257)
魏の諸葛誕が寿春で反乱
姜維 後将軍 出陣する
大赦
時期不明な、この年の出来事や任官
劉承 安平王 死去  諡号殤王

景耀元年 (258)
姜維 後将軍 成都に帰還 大将軍に任じられる
陳祗 死去 侍中・守尚書令・鎮軍将軍 諡号 忠侯 を贈られる
董厥 尚書令 
陳祗に代ってとあるので、おそらく陳祗死後だと思われる。
黄皓 黄門令 後に中常時 → 奉車都尉 
黄皓が政治権力を握るようになる
宗預 病気を理由に成都に帰還
後に鎮軍大将軍・兗州刺史・関内侯
時期不明な、この年の出来事

景耀二年 (259)
夏六月
劉諶 北地王に封じられる
劉恂 新興王に封じられる
劉虔 党王に封じられる
時期不明な、この年の出来事や任官
張翼 左車騎将軍・冀州刺史・都亭侯
廖化 右車騎将軍・并州刺史・中郷侯
宗預 鎮軍大将軍・兗州刺史・関内侯

景耀三年 (260)
秋九月
関羽・張飛・馬超・龐統・黄忠に諡号が贈られる
時期不明な、この年の出来事

景耀四年 (261)
春三月
趙雲に諡号が贈られる
冬十月
大赦
時期不明な、この年の出来事
諸葛瞻 行都護・衛将軍・平尚書事
董厥 輔国大将軍・南郷侯・平尚書事
樊建 侍中・守尚書令
劉輯
(劉理の子)
武邑侯 詔勅により劉理の後を継ぐ 安平王

景耀五年 (262)
春正月
劉琮 死去 西河王 
姜維 大将軍 出陣して侯和で鄧艾に敗北撤退し、沓中に駐屯
趙広 牙門将
時期不明な、この年の出来事
趙広 死去 牙門将 ※もしくは翌年。沓中にて戦死
宮中の大樹が倒れる ※杜瓊伝

景耀六年 (263)
炎興元年
詔勅により、沔陽の地に廟が建立される
魏の侵攻が始まる
張翼 左車騎将軍 漢中防衛に向かう
廖化 右車騎将軍 漢中防衛に向かう
董厥 輔国大将軍 漢中防衛に向かう
大赦
炎興に改元
諸葛瞻 死去 衛将軍 綿竹にて鄧艾に破れ戦死 37歳
諸葛尚 死去 父の諸葛瞻と共に戦死
李球 死去 羽林右部督 諸葛瞻と共に戦死 ※李恢の甥
張遵 死去 尚書 綿竹にて戦死 ※張苞の子
姜維・董厥
張翼・廖化
剣閣から退き成都方面へ向かう
譙周 光禄大夫 劉禅に降伏を勧める
蜀帝劉禅  魏に降伏する
劉諶 死去 北地王 死去 自殺
張峻 太常 ※「蜀記」
汝超 益州別駕 ※「蜀記」
蒋顕 太僕 ※「蜀記」
李虎 尚書郎 ※「蜀記」
樊建 尚書令
郤正 秘書令
張通 殿中督
劉禅 鄧艾の任命で 驃騎将軍とされる
姜維・董厥
張翼・廖化
劉禅の命令が届き、降伏する

咸熙元年 炎興元年 (264)
春正月
鄧艾 逮捕される
鍾会 成都に入る
姜維 鍾会と共に成都に入る
姜維 死去 鍾会と共に反乱を起こすが失敗
劉璿 死去 鍾会の乱で死去
張翼 死去 反乱に巻き込まれる
劉禅 洛陽に向かう
張氏(妹) 劉禅と共に洛陽に移住
劉永 洛陽に移住
宗預 死去 洛陽への移住途中で病死
廖化 死去 洛陽への移住途中で病死
三月
劉禅 安楽県公に封じられる
劉永 奉車都尉・郷侯
劉輯 奉車都尉・郷侯

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