三国志を中心にした中国史を調べて適当に思いついた事を綴ったサイト
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◆【魏歴】明帝期青龍年間 魏歴に戻る 明帝期太和年間に戻る
青龍元年(233)
正月
甲申(23日) 摩陂の井戸に青龍出現の報告
2月
曹叡 摩陂に行幸し、青龍を見る
年号を青龍と改元
摩陂を龍陂と改称
3月
4月
5月
壬申 詔祀故大將軍夏侯惇、大司馬曹仁、車騎將軍程昱於太祖廟庭
戊寅(18日) 曹蕤 北海王 死去
閏5月
丁酉(8日) 諸王の娘でない皇族の娘を邑主と呼称することとした 【明帝紀】
祀典に名の無い山や川を祭る事を禁止した 【明帝紀】
6月
洛陽宮にある蹴鞠をする部屋が焼ける 【明帝紀】
鮮卑族が反乱を起こす
畢軌 并州刺史 鮮卑族の討伐を上表 【明帝紀】 ※註の<世語>に350歳の老人の話あり
蘇尚 将軍 鮮卑族の討伐に派遣されるが敗れて殺害される
董弼
秦朗 驍騎將軍 鮮卑討伐に中軍を率いて派遣され、打ち破り北方の砂漠に敗走させる。
驍騎將軍・給事中 【明帝紀】<魏略>
7月
8月
9月
安定の匈奴が反乱を起こす
胡遵 将軍 司馬懿の命で匈奴討伐に派遣され、打ち破り降伏させた。
10月
秦朗 驍騎將軍 軍を引き上げて帰還する。
11月
12月
公孫淵が孫権からの使者を斬ってよこす。
公孫淵 大司馬・楽浪公
青龍2年(234)
正月
2月
癸酉(18日) 鞭打ちや棒打ちの刑罰を若干緩やかにするように令をだす
諸葛亮が魏への進軍を開始する 【蜀志:後主伝】
3月
庚寅(6日) 劉協 山陽公 死去
己酉(25日) 大赦
4月
疫病が流行
崇華殿が焼ける
劉協 漢孝献皇帝 と諡される 【明帝紀】
和洽 使持節・行司徒・太常 献帝の葬儀で霊を祭る 【明帝紀】<献帝伝>
崔林 使持節・行大司空・大司農 献帝の葬儀を監督 【明帝紀】<献帝伝>
諸葛亮が五丈原に迫る  五丈原の戦い
秦朗 征蜀護軍 歩兵騎兵の二万の兵を率いさせて司馬懿への増援とした 【晋書:宣帝紀】
周当 将軍 五丈原の戦いに参加
胡遵 将軍 五丈原の戦いに参加
郭淮 雍州刺史 五丈原の戦いに参加
辛毗 衛尉 持節・軍師 朝廷から五丈原に目付け役として派遣される
五丈原で対陣して暫くたった後だと思われるので、5月くらいの事だと思われる。
5月
昼間に金星が見える
呉の軍が合肥と沔水へ進行する。
6月
満潮 征東将軍 軍を進めて呉の軍を防ぐ
合肥新城を放棄し、寿春まで引きこむ策を言上するが、却下される
7月
張潁 合肥新城の守将
壬寅(19日) 曹叡 東征に出発
呉軍撤退する
曹叡 寿春に行幸し、諸将を報奨する
8月
己未(7日) 持節の使者を寿春や合肥に派遣し、酒食をふるまわせ軍を慰労した
壬申(20日) 劉協 山陽国の禅陵に埋葬される
辛巳(29日) 曹叡 許昌宮に帰還
諸葛亮の死去により、蜀軍が撤退する
9月
10月
11月
都で地震発生
12月
死刑にに該当する罪を減らした
この年
青龍3年(235)
正月
戊子(8日) 司馬懿 大将軍 → 太尉 領地が加増される【晋書:宣帝紀】
巳亥(19日) 朔方郡を設置
都にて疫病が流行
2月
丁巳(8日) 郭氏 皇太后 死去
乙亥(26日) 寿光県に隕石が落ちる
3月
庚寅(11日) 郭皇太后を埋葬
洛陽宮を大修理 昭陽殿・太極殿を建造 総章観を建造
楊阜 高堂隆らが諫めるが、聞き入れられず
宮内での遊楽時、女尚書を六人選ぶ 【明帝紀】「魏略」
張茂 太子舎人 【明帝紀】「魏略」
中尚方(宮中尚書省)
4月
5月
6月
7月
洛陽の崇華殿が焼ける 
ちくま訳では崇陽殿と記載されているが、原文では崇華殿となっている。
8月
庚午(24日) 曹芳 斉王 に封じられる
曹詢 秦王 に封じられる
9月
丁巳(11日) 曹叡 洛陽宮に帰還
原文では9月と書かれていないのでよくわからない。 もしかすると8月かもしれない。 各自で要確認。
崇華殿の再建を命じ、九龍殿と改称した
10月
巳酉(3日) 曹兗 中山王 死去
壬申(26日) 昼間に金星が見える
11月
丁酉(22日) 曹叡 許昌宮に行幸
12月
この年
蜀の馬岱が侵攻し、 司馬懿が牛金を派遣し防がせる 【晋書:宣帝紀】
牛金 将軍 馬岱を撃退する 【晋書:宣帝紀】
武都の氐族が帰順する 【晋書:宣帝紀】
函谷関より東の地で飢饉が広がり、長安の穀物を500万石都に輸送する 【晋書:宣帝紀】
青龍4年(236)
正月
2月
昼間に金星が見える
3月
4月
崇文觀を設置 文章に秀でたものを任用してそこに配置した
5月
乙卯(13日) 董昭 司徒 死去
丁巳(15日) 肅慎氏が楛矢を献上する
6月
7月
位宮 高句驪王 孫権の使者を斬る。
高句驪王宮斬送孫權使胡衞等首,詣幽州。
8月
9月
10月
己卯(10日) 曹叡 洛陽宮に帰還
11月
12月
癸巳(24日) 陳羣 司空 死去
ちくま訳 明帝紀では、司徒と誤記載
乙未(26日) 曹叡 許昌宮に行幸
この年
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