三国志を中心にした中国史を調べて適当に思いついた事を綴ったサイト
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◆【魏歴】明帝期景初年間 魏歴に戻る 明帝期青龍年間に戻る
景初元年(237)
正月
壬辰(18日) 山茌県より黄龍出現の報告
2月
3月(4月)
暦を改定し、この月を4月とした。
4月
5月
己巳(2日) 曹叡 洛陽宮に帰還
己丑(22日) 大赦
6月
己亥(3日) 陳矯 尚書令 → 司徒
衞臻 尚書右僕射 → 司空
丁未(11日) 他郡から分割した三県を合わせて上庸郡とし、錫郡を廃止した 【明帝紀】
戊申(12日) 都で地震
7月
丁卯(2日) 陳矯 司徒 死去
朱然が江夏を包囲
胡質 荊州刺史 江夏を包囲する朱然を攻撃し、朱然を退却させる
毋丘倹 幽州刺史
公孫淵 燕王となり自立
8月
9月
奇襲 兗州 徐州 予州で大洪水
庚辰(16日) 毛皇后 皇后 死去
10月
癸丑 毛皇后 埋葬 
乙卯 洛陽南の委粟山に圜丘を造営する
11月
12月
壬子(19日) 祭祀を行う
丁巳(24日) 襄陽南部都尉を設置し、臨沮、宜城、旍陽、邔の四県を所属させた
己未(26日) 文昭皇后の廟を立てるよう担当官が奏上する
襄陽郡に所属する鄀葉県を義陽郡に所属させた
この年
景初2年(238
正月
司馬懿 太尉 公孫淵討伐を命じられる  胡遵・牛金を率いる
何曾 散騎常侍 【明帝紀】「魏名臣奏」
毋丘倹 公孫淵討伐における副将となる 【明帝紀】「志記」
2月
癸卯(11日) 韓暨 太中大夫 → 司徒
3月
4月
壬寅(11日) 沛国から10県を分割して汝陰郡とした
他にも土地の統廃合の記載があるが省く
庚戌(19日) 大赦
5月
乙亥 星の話。詳しくは省く 【明帝紀】
6月
漁陽郡の狐奴県を省き、安樂県を置く 【明帝紀】
7月
8月
羌王の芒中、注詣などが反乱し、涼州刺史が討伐し注詣を斬る
9月
丙寅(10日) 司馬懿 公孫淵を討ち取る
10月
11月
壬午(24日) 衞臻 司空 → 司徒
崔林 司隷校尉 → 司空
閏11月
12月
乙丑(8日) 曹叡 病床に臥す
辛巳 郭氏 皇后を立てた
曹宇 大将軍に任命
甲申(27日) 曹宇 大将軍を罷免される
曹爽 武衛将軍 → 大将軍
この年
景初3年年(239)
正月
丁亥(1日) 司馬懿 太尉 遼東より帰還し河内にいたると早馬で召されて、帝の寝室に引き入れられて後事を託される
曹叡 死去 36歳
曹芳 即位
癸丑(27日) 曹叡 高平陵に埋葬
2月
西域から火浣布が献上される
丁丑(21日) 司馬懿 太尉 → 太傅
3月
満潮 征東将軍 → 太尉
4月
5月
6月
7月
曹芳 朝会に出席
8月
大赦
9月
10月
黄権 鎮南将軍 → 車騎将軍
11月
12月
暦を改定
この年
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